2011年11月26日土曜日

肥田舜太郎先生の講演会


今回のブログは「チームかわはと〜放射能と向き合う会〜」の
動きではありませんが、メンバーの数人が参加しました
「5年後 10年後こどもたちが健やかに育つ会 さいたま
(すこやかさいたま)主催の肥田舜太郎先生講演会」


についてご報告します。 

肥田舜太郎先生についてはYoutubeなどでも、講演会の様子が
たくさんアップされていますので、ご覧になられた方も多く
いらっしゃると思います。

肥田先生はヒロシマで被曝されました。たまたま患者さんを往診中で、
爆心地から数キロ離れたところにいらした為、即死を免れたお医者様です。
ヒロシマには、強い思いがおありなのでしょう。
講演会の半分を、このヒロシマの記憶について話されました。

先生は爆死を免れた後、被曝した患者さんを看る(看取る)ことを
焦土ヒロシマで続けられていた訳ですが
被曝の初期症状として見られた下痢、鼻血、アザ(紫斑)がすでに
福島で見られているとおっしゃいました(最後の方で、関西でも
そういう症状が始まっているということもおっしゃっていました)。
「目に見えない放射線の悲劇が公にされない」…これが現実です。

先生がヒロシマで体験したことは、この被曝初期症状のようなものを
はるかに凌駕する内容でした。急性放射線障害についてのお話です。
(急性放射線障害については、今の私たちにはあまり関係のない話
かもしれません。しかし、放射線の怖さを知る為には必要なので、
書いておきたいと思います)
先生の記憶ですと8/9(原爆投下から3日目)あたりから
爆風でやけどした人以外の方々が次々と亡くなっていったそうです。
その死に方…
白血球がなくなったことにより、口が腐る(身体の内部から腐敗する)
紫斑が表れる、目や口から血が出る、触っただけで髪が抜ける、…
数時間後には穴という穴から血が吹き出し、血の海の中で絶命する
という壮絶な死です。これが次々と起こり、なすすべが無かったとの
こと。先生がこれが放射能によって起こる急性放射線障害であると
いうことを知ったのは10年後だったということでした。
そのくらい、放射能については何もわからないままであったのです。
急性放射線障害で亡くなる人は徐々に減ったそうですが、放射線を
吸い込むことによって起こる数々の症状が、この後生き残った方に
表れてきました。どの医者にかかってもわからないと突き放される
難病や、気力がなくなって立ってもいられない病気「ブラブラ病」
など、原因がわからないままの病気や癌が起こって、病気の辛さで
自殺してしまう人もいた程でした。

ここまでの急性放射線障害が、今の福島で起こるということでは
ありませんが、何しろ同じ原因のもので被曝しているのです。
(ウラン、プルトニウム)今後、起こってくる障害は同様に原因
がわからないままになる可能性もあるのです。

【ここからが先生の言いたかったことだと思います

ヒバクシャと考えられている方は約80万人。その中の21万人は
行き残ったそうです…「放射線障害は全員がなる訳でない」

アメリカのデータによると原発から1700km圏内では乳がんが
増えているというデータがあることからも、今の福島の被害は
日本国中に広まってしまったと考えるべきである。
そうであるならば、少しでも遠くに逃げるという考えもあるが

「放射能に負けて殺されちゃだめだ!」

ヒロシマでは寿命いっぱいに生きた人とそうでない人がいた。
健康にいいことをした人で生き延びた人もいるのだから、
命が大切なら「生まれつき持っている力を不摂生で弱めたり
無くしたりしてはいけない」

昔の人の知恵
・米を30回噛んで食べる(米のでんぷんを分解するのは唾液にある
 ジアスターゼだけ)
必ず毎日排便し、毒を身体の外に出す。便秘はしない。
・きちんと眠る。早寝早起き。

「免疫を大切に、大切に保つこと!」

逃げ場は無い。開き直って頑張る。自分が自分の命を差配して生きる。
あなただけができる。あなたを治すことができる医者はいない。
あなたの健康を保つことは誰にもできない。そしてそれは大変なこと。
子供の手本になるような生活をする。その位の根性がないとダメ!

*会の終わりのメッセージ
頑張ればできそうなことをお話しました。
皆さんには明るい国民になって欲しい。
今日の話を聞いた方には、困っている方の受け皿になって欲しい。

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最後の方、かなりはっきりした口調でおっしゃっていて、とても
勇気づけられました。私は福島からの避難を推奨する意見です。
でも、先生の考えに賛同します。全員が避難できる訳ではなく
自分の住む土地が汚染されていて、それがわからない人もいると
いうならば、これからの時代を生き抜くために必要なことはこの
ことであると心から思います。

原発をつくることで、大きな負を担うことになった私達にとって、
これからできることは人として正しい生き方を模索し、実行する
ことではないでしょうか?電気を使いすぎることが原発の需要を
招く結果になったのなら、それを必要としない生活を実行すべき
なのかもしれません。そして、何より前向きに!生きる力を身に
つけて。放射能に殺されない身体作りをしたいと思いました。

それと、私が驚いたのは福島の後に、先生の元にお話を聞きに来られた
新聞や雑誌の記者の方の多くが、ヒロシマの悲劇について知らなかった…
とのお話。それほどまでに悲しい歴史は風化してしまったのでしょうか。
ヒロシマを知ることこそが「原発はいけないものである」という根底に
あると思うのですが…しかし、あの凄まじい破壊力を見せられた日本人は
そのパワーの中に「次世代の希望」を見いだしてしまったのだと言います。
(小出先生もその中の一人だったと独白されていました)
今、それが間違いだったと認識して、新たな価値観を持たねばならない時
なのだと思います。

駆け足で、まとめを書きました。私の主観で書いていますので
先生の話を聞かれて、違う解釈をされた方もいらっしゃるでしょう。
感想や、違うご意見もお寄せいただけたらと思います。

ご意見は nonukes.aran@gmail.com まで
まとめ制作:チームかわはと世話人*ARAN


チームかわはと〜放射能と向き合う会〜

次回のミーティングは12/2(金)と12/16(金)です。
詳細お知らせは、nonukes.aran@gmail.com までどうぞ!

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